Dwarf Standing on the Shoulders of Giants

If I have seen further it is only by standing on the shoulders of giants. by Issac Newton

2009年11月28日

GREAT VACATION

付き合いの長い友人なら、自分が GLAY とかいうバンドの重度のファン(重度であることは自覚してるけど、ダフ屋とかオークションで定価以上のチケットには手を出さない分末期的ではないと思う、思いたい)であることは、そこそこ周知の事実だったりするのだが、帰省がてら FC 先行で買った(金沢には今回は来ないので)福井のチケットが届いたのを見ると最前列だったので卒倒しそうになった。

昨年までは近くで見る機会なんてほとんどなかった(アリーナ9列目ってのが1回と、あとはステージサイド席でライブ中に1回だけ近くに来てくれた)んだけど、昨年末から今年にかけてはやたら至近距離で見る機会が多かったし(まあそのうち1回はフリーライブで、朝の8時から横浜行って炎天下の中並んでたってことで、自分の努力を誇っていい)、さすがに日産スタジアムのライブで至近距離で見られるとは何一つ期待してなかったけど、それでも前から30列とか、かなりの良席。そういうわけで、今回のツアーはまあ会場に入れりゃいいかなとでも思ってたらまさかの最前列。

だいぶ運使いきったんじゃないかと心配もしていなくもないが、まあ当たっちゃったものは素直に楽しんでくることにして、今週末は帰省する。やっぱり研究にも息抜きが必要だし(とかいいながら、8月の日産スタジアムのライブに行った後は、院試直前にもかかわらず放心状態で勉強がしばらく手につかなかったり)。

しかし、もう一つ別の先行のチケットを余らせてしまって、そっちもアリーナ10列台でかなり良席のはずなのだが全く売れない。一体どないなっとんじゃと思いながらも、1列目取れたし別にいいかと若干思っているところもなくもない

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2009年10月10日

無明の酒の酔い心

大学で薪能をやるというので、見てきた。演目は狂言「萩大名」能楽「紅葉狩」。狂言はともかく、能楽はほとんど詞章が聞き取れないので、外国語のオペラみたいなものだと思って舞と囃子を楽しむ。

最初に教授の解説があって、「紅葉狩は世阿弥のような幽玄を追求したのみの作品ではなく、エンターテイメント性も重視しており、その点歌舞伎に通ずるところがある」とあったが、納得。女の裳束を羽織った鬼が一気にそれを脱ぐ演出とか、確かに圧巻で、こういう演出が歌舞伎の外連に繋がっていくのだろうと実感。能楽と歌舞伎は対照的な芸能だとか見たことない人に説明される風潮があるけど。

それにしても、ちょっと音響が微妙だったな。台詞、地謡、囃子全部をピンマイクか何かで拾ってスピーカーから流してたけど、臨場感が激減。まあ、そうでもしないと聞こえないんだろうけど。ミュージカルとかでも、ソロになるとマイクを使うときとかあるけど、ああいうの大嫌い。役者のいるところから声が聞こえてくってのが、一つ生の舞台の臨場感を演出してると思うんだが、どこに誰がいようと一切関係なく全部ミキシングして同じスピーカーから流すってのは、はっきり言って興ざめ。

以下、全くどうでもいい感想だけど、普通現代の芝居(無論ルーツは西洋演劇)って、例えばスタッフなんかが見切れるのを極端に嫌うけど、例えば能楽の後見とか、歌舞伎の黒子なんてのは、彼らの衣裳を「舞台上に見えないものとする」という記号として、堂々と舞台上に上がってくるんだよね。現代演劇の常識で考えたら新鮮だったけど、実は歴史的に演劇一般とかだとそっちの方が主流だったりするんだろうか。

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